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勇敢な騎士

 ドタドタドタドタ。
 タカタカタカタカ。
 逃げまどう人々。男も女も地位も関係なく誰もが我先にと出口へと向かう。
「リリナ! どこにいるのリリナァ!!」
 妹か子供か。いずれにしても知り合いと別れた女性が、人の波に呑まれかけながらも必死にその名前を呼ぶ。
 脳裏に焼き付いて離れない貴婦人たちの悲鳴と、現在実際にあげられている悲鳴が頭の中に響いてくらくらする。
 『人はパニックになると本性が出る』と、どこかの旅人――いやバイオリンの奏者だったかが昔にいっていた言葉を身をもって初めて痛感した。
 普段はクールに決めて男を魅惑していた女が、今は誰かまわず押しのけ、時には人の足を引っかけてまで出口に向かう。
 格好つけてばかりいた男は、先ほども変わらず格好つけて剣を持った奴らに話をしに行き、無駄に殺された。
 常に冷静に物事を見極めていた女は、今も相変わらずに冷静に、しかし、素早く人の波の中を出口に向かってすり抜けている。
 周りから意地っ張りで偏屈といわれていた男は、今はパニックになっているみんなを収めようと声を張り上げている。
 そんな風に冷静に人々を観察して、馬鹿らしくなって細く微笑んでさえいる私の本性はいったい何なのか。確か『人はパニックになると本性が出る』と言ったのと同じ人がこういう状況のことを『人の不幸は蜜の味』とかなんとか言っていなかったか?いや、違うか。
 そんな風にエリナミナは冷静に人の波を眺めていると、反対の方向から足音が聞こえて来た。
 敵か!?
 普通の女がするような普通にその方向を向くものではなく、剣を習っている、そう、まさしく剣を極めた者が行うように隙を作らず、剣を抜く直前の、もし腰に剣を帯びていたのなら左手は鞘を、右手は剣の柄を握っている居合直前の動作を体全体の向きを変えながらエリナミナは行った。豊かな落ち着いた色の金髪がなびく。
 今着ているとてもきらびやかなドレスにはとても似合わないその動作を、エリナミナはすぐに解くことになった。なぜなら向こうから走ってくるこの国では珍しい黒髪の持ち主を彼女は知っていたからだ。
 昔、家の近くで倒れていたところをエリナミナが拾った、今では従者のタカリオだった。
「お嬢様!急いで下さい。こちらに馬車を準備いたしました」
 腰に吊っている二本の剣をガチャガチャと鳴らしながら彼は、なにやら切羽詰まった様子で――実際に切羽詰まっているが、エリナミナの元に走ってきた。
 どうやらいつもの様子と変わらないということはタカリオは裏表がないのだな。とエリナミナは未だに冷静な頭で考えながら質問した。
「父上は?」
「後からこられます」
 普通の子供ならば、叫びながらでも父を待つために城に残っていそうだが、エリナミナは別に父が好きというわけではない。憎んでるわけでもなく、文字通り何の感情も抱いていなかったのでタカリオに聞いたのは建前上だった。だからタカリオの信憑性が全くない返事をすんなりと受け入れた。タカリオもそのことを知っていたのでエリナミナの尋常でない行動に疑問は持たない。
 おとなしく出口とは全く反対方向の先ほどタカリオが走ってきた方向に走るでもなく、歩くでもない早さで向かうと、エリナミナの知っているとおり長い螺旋階段が姿を現した。ここはエリナミナの、正確にはエリナミナの父の、家であるから勝手は知っていて当然だった。
 この螺旋階段は現在の三階から一階まで踊り場もなく続いている。
 小さい頃は手すりの上をバランスよく滑りながら、半泣きになって追いかけてくるタカリオをあざわらっていたエリナミナだったが、今のように床に付きそうなほど長いスカートの付いたドレスを着ていては、そういうわけにも行かない。
「もう少しです。お嬢様!」
 そう言われなくても、何度も言うがここはエリナミナの、正確にはエリナミナの父の、家であり、エリナミナは家の勝手がいやと言うほど分かるのだ。そのことも知っているタカリオがわざわざ言っているのはエリナミナの別に動転していない気を抑えるためではなく、むしろ自分自身に言い聞かせているようだった。
 やっと階段を下りきり、タカリオが古ぼけた木の扉を開けるとそこには下卑た笑いを顔にのせた男たちがで立ちふさがっていた。数は十五人ほど。どの男も抜き身の剣を、人によっては紅い液体で濡れた剣を手に持っていた。
「どーも。わざわざ自分から来てくれるとはサービス精神あふれるお嬢さんだなぁ」
 真ん中で一歩分前に立っているド派手金髪男が白々しい様子で行った。
「あなたは!。なぜあなたがここにいるのですか。あなたはお嬢様のっ」
 タカリオが納得いかずに叫ぶようにして真ん中の男に向かって言葉を吐くのをエリナミナが袖を引いて止める。
 男たちの隙間からエリナミナが馬車を見ると、地面が赤く染まっているのと多分倒れている御者のものであろう顔が見えた。
「殺したのか?」
 エリナミナがあくまで単調に聞く。
「ああ。邪魔だったからな」
「そう。やっぱりおまえが首謀者だったのか」
「なんのことかな?」
 再びド派手金髪男は白々しく言う。
 エリナミナは感情の変化なく聞いているがタカリオは知っていた。あそこに倒れている御者は、エリナミナが生まれる前からこの屋敷に仕えて、エリナミナが父よりも慕っていた人物だった。だから彼は、一秒でも現場にいるのは危ないというのに、実際に皆が逃げている中、ただ一人エリナミナのために残っていてくれたのである。タカリオがエリナミナに拾われるときも、傍にはあの業者が居て、拾われた後もとても優しくしてくれた。昔は凄腕の傭兵だったらしいが、足の腱が切れ、途方にくれていたところをエリナミナの父に御者として雇われ、我流だったタカリオと剣をまったく知らなかったエリナミナに始めから丁寧に剣を教えてくれた。
 その証拠に彼はいつも剣を離さず腕は衰えていなかったので、彼の近くに男たちの仲間が数人倒れているのや、目の前にいる男たちの腕や胴などのあちこちに切り傷があり、息もあがっているところを見ると男たちは相当てこずったようだ。
 そんな大切な人を亡くしても二人が平然としているようにみえるのは彼が『剣を扱うものは常に冷静に物事を見極めなくてはならない』と言っていたからである。二人の心の中では男たちに対する憎悪が渦巻いていた。
 その思いを表に出さないままエリナミナが確信を持った声で聞く。
「ってことは、私と婚約を結んだのはこのためかな?」
 そう、真ん中で一歩分前に立っているド派手金髪男はエリナミナの婚約者だった。
「そうさ。じゃなきゃ、剣を持って男みたいに戦うような変な女と婚約なんて出来るか。もしかして、期待していたのか?」
 男がからかうように聞く。
「いや、別に。ところで私を殺しに来たのではなかったのか?」
「おおそうだった。麗しきエリナミナ嬢の美しさにみとれて作戦を忘れるところだった」
 確かにエリナミナの美しさは国一番と噂されるほど。しかし、下卑た男にからかうような口調で言われたのでは、十人中十人がその噂を信じないだろう。
「やれ」
 ド派手金髪男が一言命じるとともに、後ろの男たちは剣を構える。
 それと同時にタカリオは二本の剣のうち、真っ直ぐな剣をエリナミナに渡すようにして投げた。エリナミナは剣を受け取り、その剣を貸した当の本人は二、三歩下がってド派手金髪男と同様に観戦する。
「あれ?こういう時って従者君ががんばるべきじゃないのな?せっかく剣もう一本持ってるのに」
「……」
 タカリオは男の言葉を無視して黙り込み、戦っているわけでもないのに冷や汗をかいて追い詰められたようなようすで、エリナミナを見ながら何かを考え込んでいた。
 その間にエリナミナは手前の二人の男と戦っていた。両側から男たちが横に振った剣をエリナミナはしゃがむことでよける。そのままの状態で左手を地面につき、右側から襲ってくる栗髪男の足を自分の右足で引き寄せるようにかける。――つもりがスカートがじゃまで足が十分に伸ばせず、結果としては足に少し触れただけだった。
 そのかわりに足をすばやく引き寄せた後、立ちながら剣を栗髪男に向かって剣を切り上げる。
「うえっ」
 栗髪男の胴体に紅(あか)い筋がはしる。
「このアマっ!おとなしくしやがっ……れ……」
 そしてその上に容赦なく剣を突き立てる。
 その間もタカリオは一言も発さず、ただ黙々とエリナミナたちを凝視しながら何かを考え込んでいた。
「……」
 もう大切な人を守れない歯がゆさを感じるのはいやだ。
 タカリオは本能的にそう思っていた。
 大切なものを護れなかったときに、剣なんていらない。そういったタカリオに師匠は無理矢理剣を持たせ続けた。
『いつかまた、大切なものを護りたいと思ったときにすぐ護れるように』
 護れるはずがない。そう思ったタカリオに、僕の代わりに強くなって。と言われてもエリナミナは嫌な顔ひとつせず、それからいつも以上に修行に励んだ。
 手が細かく震える。冷や汗がでる。目を硬くつぶりたいのに、体が言うことをきかない。
 剣の交わる澄んだ金属音にタカリオは思考から引きずり出された。
 男たちの数はすでに三分の二に減っていた。
 地面に倒れている残りの男たちは、もう永遠に再び動き出すことはないのだろう。
 しかし、エリナミナのほうも無傷ではない。ドレスは無残に破れ、その雪のような白い肌には幾筋もの紅(あか)が走り、息は荒れ、全身に返り血を浴びていた。
 不意にド派手金髪男がエリナミナの死角を走り出す。
 それに気付いたタカリオが、エリナミナに警告を発しながら自分も剣を抜いて走り出そうとする。
「……っ!」
 声が出ない。お嬢様、危ない!というつもりだったのに、のどが凍り付いて、声を出しているつもりでも、実際には出ていない。それどころか体も動かない。まるで金縛りに遭ったみたいに。
 タカリオの脳裏にあのころの風景が、恐怖がよみがえる。
 男が剣を振り上げて。自分ではどうすることも出来なくて。目の前にいきなり人影が現れて。赤い液体が降り注いで。大切な人が倒れて……。
「あぁぁぁぁ……」
 タカリオの目から拒絶反応の涙がこぼれ落ちる。
 逃げたい。にげたい。ニゲタイ。
 一分、一秒でも早くここから逃げ出したい。どこで誰が死のうが構うものか。目の前で大切な人が死にさえしなければ。そうだ、目を背ければいい。そうすれば、前みたいに重みを背負わなくてもいい。目を背けろ。真後ろに逃げ出せ。
 タカリオがいくら望もうが、身体は意に反して動かない。
 その間にド派手金髪男がエリナミナの背後にたどり着き、右肩から斜めに切り下ろす。
 ゆっくりとエリナミナの身体が崩れていく。重力がないかのようにゆっくりと、ゆっくりと。
 エリナミナが地面に完全に倒れたとき、タカリオの頭の中で何かが弾けた。
 許せない。ゆるせない。ユルセナイ。
 先ほどまで呻いていたのがウソのように、タカリオは素早く剣を抜き、走る出す。
「っおまえらぁ!オレのFaineに何をするっ!」
 Faineの意味は『護るべきもの』『護りたいもの』『大切なもの』
 タカリオの口調が昔のものに戻る。
 タカリオは、初めて師匠の教えを破った。
 許すものか。許せるものか。大切なものを二度も奪ったあいつを。
 タカリオの目には、目の前にいる男たちと過去の記憶の男たちが重なって見えていた。
 まず始めにド派手金髪男の首を切る。
紅(あか)が飛び散る。
 男たちはリーダーの男が死んだことにより、見るからに動揺していた。それでもまだ、剣はしっかりと構えているのは、何か報酬を約束されたためなのだろう。
 右側にいた銀髪の男がタカリオに向かって剣を振り上げる。
 タカリオはその男の胴を左から真一直線に斬る。そのまま軌道の延長線上にいた薄い金髪男も斬る。
 そうしてタカリオは修羅さながらに斬っていく。
 辺りに鉄の臭いと紅(あか)色が広がっていく。



 エリナミナが目を覚ますと、そこは見覚えのない民家のベットの上だった。
 建物は主に木で作られており、エリナミナが寝ているベットの右側には大きな窓が。反対側にはドアがあり、飾りと言ったら窓際に置いてある紫色の花ぐらいだった。 
 エリナミナが横になったまま部屋の中を見回していると、ドアが開いて初老の男が入ってきた。
「おお、起きたか。――ばーさん、起きたぞー」
 男はエリナミナが起きていることを確認すると、ドアの向こう側に向かって大声を出し、自分は持ってきたイスをベットのそばまで持ってきて座った。
「そうだ、私はあの男たちと……っ!」
 エリナミナは男に聞きながら身を起こそうとするが、背中に走った痛みに顔を歪めた。
「おいおい、無理すんじゃねえって」
 男があわてて、エリナミナに手を添え、ゆっくりとベットに寝かす。
 エリナミナはいつの間にか返り血も拭かれ、ぼろぼろだったドレスから、清潔な衣服に着替えさせられていた。
「申し訳ない」
 エリナミナが男にお礼を言ったところで、開けっ放しにしていたドアから、これまた初老の女が手に水を載せてお盆を持って入ってきた。
「気分はどうだい?」
 女はそういいながらエリナミナに水を渡す。
「別に特に悪くはない。ところで私の名前はエリナミナ――」
 フルネームで言うかどうかエリナミナは少し迷った後、言うのはファーストネームだけにすることにした。
「――というが、あなた方は誰で、ここは何処で、私が寝ていた間に起きたことを教えてくれないか?」
 エリナミナの男のような物言いに不思議がる様子もなく、女は話し出した。
「私たちはテイガル老夫婦。私はエフィルで、夫がダビル。私たちは多少医学の心得があるから、ここで医者をしている」
 ダビルが話を受け継ぐ。
「あんたが寝ていたのは三日間ぐらいかな。少なくてもうちに来たのは三日前。びっくりしたよ、夜中に珍しく客が来たと思ったら、二人とも血まみれで傷だらけなんだから」
「二人?」
 エリナミナが質問すると、男が続けて答えた。
「あんたとあんたを背負ってここまでつれてきた黒い髪の男だよ。んで、彼が『彼女を手当てしてやってくれ』っていうから見てみたら、あんたの背中がきれいに斜めに切られてるもんだからもっとびっくりしたよ。もう少し遅かったら血の流しすぎで死んでいたところだった。手当てはしたが、背中の傷は一生残ってしまうだろう。いったい何があったんだい?」
「……。黒髪の彼は何処に行きましたか?」
 エリナミナがさりげなく質問に答えずに逆に聞くと、エフィルとダビルは困ったように顔を見合わせた。
 エリナミナは脳裏に浮かぶ嫌な予感が当たらなければいい。と思った。
 とても言いづらそうにエフィルが重い口を開いた。
「黒髪の彼は――土に返ったよ」
 土に返ったとは。つまり、タカリオは死んだのだ。
「彼も出血がひどくてねぇ。ここまでエリナミナさんを運んでこれたのが奇跡みたいなもんだったんだよ。やれるだけのことは精一杯やったけど、もう、手遅れだった」 
「墓は何処に」
 声がかすれているのはエリナミナ自身、自分でも分かっていた。
「裏に。見に行くかい?」
 ダビルが聞く。
 エリナミナはうなずいた。

 ダビルに支えてもらいながらも、家の裏に回ると確かにそこには確かに最近出来たであろう墓があり、その傍には花とタカリオの剣が供えられていた。
 エリナミナは墓の前に座り込むと、肩を震わせて泣いた。母が病気で死んだときや、師匠が死んだときすら出なかった涙が、どうして今出るのかとはなぜか思わなかった。
「お墓を作ったのはいいけど、文字を刻もうと思っても名前も何も分からないから、何も刻んでいないんだ。もしよかったらあんたが刻んでやってくれないか? ――こんなことを言うのは酷だと分かっているが」

 数日後、タカリオの墓には名前と、Devilと言う文字が刻んであった。
 Devilの意味は『戦うもの』『守護者』、そして――『勇敢な騎士』

06/04/23 投稿
08/08/12 文末加筆

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