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とある物書きの日常

「小説家って言うのはさ」
 静寂を破って僕が唐突に口を開く。
「誰しも少なからず多重人格の気があると思うんだ」
「ほう」
 返事は期待していなかったのだけれども、いつものように君は応えた。
「それはどういう意味かね?」
 僕の何気ない独り言に、君はいつも律儀に答える。それは君が暇だからなのか、それとも違う理由からなのかは僕には分からない。そして、その理由が何だろうと僕には関係が無い。僕は聞かれたからそれに答える、ただそれだけだ。
「例えばさ、僕が一人称の小説を書くとする」
「ふむ」
「その時に、主人公が女性だとする」
「ふむ」
「その時に、僕は主人公の立場になって話になって話を書くわけだ」
「それはそうだろうな」
 頭に響く君の声は僕よりも低い。僕と同い年のくせに言葉遣いは古臭く、けれども、僕は君の低い声をいつも心地よく感じている。
「だったら僕は、男の身でありながら女になるわけだろ」
「それは果たして多重人格なのだろうか」
 僕の極論に、君が問いかける。
「さあ」
 そして僕が答える。
「けど、ある人物の思想を理解し尽くしたら、それはその人物であると言うことと同じことなんじゃないかな。より深みのある文を書くためには、登場人物の思想を理解しておかないといけないからね」
「ふむ……」
 君は少し考え込んだようで、僕と君の間に沈黙が落ちた。
 部屋の中に、カタカタとキーボードを打つ音が響く。僕が新作の小説を書いている音だ。
 主人公は男の子――と言うほど幼くは無いけど、大人とも言えない。そんな年齢の子。彼には少し他の人とは違うところがある。まあ、小説の主人公ってのは大抵他人が持っていないものを持っているものだけど。
 僕の筆が珍しく止まらない。原稿用紙一枚分ほど書いたところで、君が再び口を開いた。
「しかしてそれは、やはり少し違うのではないのだろうか?」
 どうやら、ずっと考えていたようだ。
「そう? まあ、いいんじゃない」
 考えを否定されたけど、特にこだわっていたわけでも無いのでさらりと流す。そのまま話が終わっても良かったけど、君はどうやら思うところがあるようでそのまま続けた。
「例えば、だ」
「うん」
「先ほどの意見はつまり、もう一つの人格を理解していたらその人格は自分と同化するということだろう?」
「そういうことになるね」
「なら逆に言えば、自分と同化しているもう一つの人格については全て理解していると言うことだろう?」
 そうきたか。
 僕は無言のままキーボードを打ち続けた。
 君は気にせず続ける。
「けれども、君は私を理解しきっていないのだろう?」
 キーボードを打つ手を止めて、僕は深くため息をついた。
「まあ、そうだけどね」
「私も君のことは未だに良く分からない」
「……みたいだね」
「しかし、私と君の関係は世に言う二重人格ではないのかね?」
 君の言うことを認めたくなくて、否定の理由を探してみる。
 結論。否定の理由は無し。
 僕はもう一度、さっきよりも深くため息をついた。
「確かに、君の言うとおりだね」
「だろう?」
 君の口調は少し誇らしげだか、僕の気分は対して暗い。
「ああ、せっかく書いたのに……この小説はボツだな」
「む、何故だ?」
 僕は無言でファイルを保存することなくメモ帳を消した。
 小説の主人公は、二重人格だった。

10/01/17 推敲
10/01/01 執筆
09/08/21 考案

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