【どこかの国の酒場にて】
「薔薇がどうして赤いか知ってますか?」
視線を上げるとそこには男が立っていた。
声の高さで男と分かっただけで、遠目から見たらきっと女と見間違えていただろうと思う。なぜならそいつは、髪が腰まで長い上に女みたいに顔が整ってたからだ。
「……僕の話、聞いてます?」
俺が見とれていると、じれったくなったのか、男はもう一度声をかけてきた。確かにこの喧騒の中じゃ、確認したくもなるだろう。
「ああ、ちゃんと聞こえてるさ」
俺がジョッキに残っていたビールを飲み干していると、男は勝手に俺の正面に座った。
軽くにらんでみるが、男は気にする様子無く酒を注文している。
「おい」
「はい?」
「誰が座って良いと言った」
男と飲む趣味は無い。
俺が凄みを効かせてこう言っても、男はやはり、動じる様子は無い。
第一印象はもちろん、変な奴、だ。
そうこうしているうちに、男のもとに酒が運ばれてきた。今だけは回転の速いこの店が恨めしい。
俺は諦めてため息をつくと、酒を飲みだした男を観察することにした。
長い髪は亜麻色で、見ただけでも艶がいいことが分かる。多分、女たちは悔しがって見るだろうな。目もきっと同じ色。……曖昧なのは俺が一瞬しか男の目を見なかったせいだ。男の目を見つめるだなんて、気持ち悪くて俺には出来ない。
服はゆとりがあるが、足元などは動きやすいようになっている。傍に荷物が置いてあるから旅をしているんだろう。そういえば服の細かい装飾は異国の物だ。
「んで、俺に何の用だ」
仕方が無しに質問してやると、男はうれしそうにジョッキを置いた。
「用、と言うわけでは無いのですが、暇つぶしに付き合ってもらおうと思いまして」
「暇つぶし?」
唇を湿らそうとジョッキに手をのばすが、さっき飲みきったのだから中身は空だ。
俺は軽く手を挙げて、酒を注文した。ここは馴染みの店だから、俺の好みは良く知っている。
「ええ。僕は話すことが好きなんですが、生憎と旅の身。相手がいなくてですね。ですから、一人寂しくお酒を飲んでいるあなたに相手になってもらおうかと」
「あんたが女の代わりになってくれるのか」
一人寂しく、と言われたお返しに髪のことを言ってやる。けれど言われ慣れているのか、男は軽く笑っただけで受け流した。
「それで最初の言葉に戻るわけですが、薔薇が赤い由来を聞きますか?」
「あんた、吟遊詩人か?」
質問に質問を返すのもどうかと一瞬思ったが、こいつなら気にしないだろうと思い直して聞いた。
「いえ、違いますよ。先ほど言ったとおりのただの旅人です」
吟遊詩人なら金を払わなければいけないだろうと思って聞いたが、これなら後で大金を請求されることも無いだろう。
とうの昔に運ばれていたジョッキを手に取り、俺は答えた。
「まあ、暇つぶしに聞いてやるよ」
酒を一杯飲み干すぐらいの時間なら、俺にだってある。
【薔薇が赤い理由】
昔々、ある国には美しい王女がいた。
それはそれは美しい姫君で、多くの男が嫁にしたいと望んだが、王女であるために平民の男たちは諦めざるを得なかった。貴族や他国の王族の者からももちろん求婚されていたが、王女の父である国王が許さなかった。
王女は庭に白薔薇を植えていたため、「白薔薇の姫」と呼ばれ、民に親しまれていた。それにちなんでか、王女を守るための近衛隊は、いつしか「白薔薇騎士団」と呼ばれるようになっていた。
王女には、ことさら気に入っている一人の騎士がいた。彼は貴族の出身でありながら、幼いころから王女を守り、王女のために尽くしていた。
王女も騎士も隠してはいたが、周りから見れば愛し合っているのは周知の事実だった。国王も、騎士の誠実さを知っているためか、二人の恋に何の口出しもしなかった。実は国王は、自分の娘が愛し合っている人と結婚することを望んで、そのために他の男たちからの求婚を跳ね除けていたらしい。
しかし、妬む者は現れる。騎士はその者の陰謀によって、辺境の地へ行かなければならなくなった。そこは戦いが一番激しい地。命を落とすかもしれない任務だった。
騎士が城を発つ先日の夜。王女と騎士は、庭でこっそりと逢瀬を交わしていた。王女は自分の指が汚れることも厭わず薔薇を手折ると、騎士に差し出した。
「あなた様に、この薔薇をお預けします。わたくしの分身であるこの白薔薇を、必ずわたくしの元へお届け下さい」
騎士は薔薇を受け取ると、恭しく王女の手の甲へ口付けた。
「この薔薇に誓って、必ずやお届けいたしましょう」
騎士が手を当てた鎧の左胸には、白薔薇騎士団独特の、白薔薇の装飾があった。
戦いは幾日も続いた。しかし、騎士の働きによって、確実に戦いは終わりへと向かっていた。
峠での戦い。騎士は誰よりも勇ましく、誰よりも先陣を駆けて戦った。長い戦いの末に、ついに勝利を収めた騎士勢。他の男たちが勝利に酔いしれ、喜んでいる横で、一人の男が壁に寄りかかって座っていた。
その男は鎧を自らの血で染め、息も絶え絶えな状態だった。一番勇敢に戦った男の左胸についていた薔薇は、鎧から離れ血に落ちていた。
「おい、王都に帰るんだろ? 起きろよ」
一番親しい戦友の言葉に男は顔をあげた。
「もちろん帰るさ。約束したんだ。……でも、その前にこの薔薇を先に姫の元へと届けてくれないか」
男は震える腕で、薔薇の装飾を戦友に渡した。
「お前も後から来るんだろう?」
男はもう、戦友の言葉に反応を返さなかった。
戦友は一度硬く目をつぶると、薔薇の装飾を男の服の切れ端で包んで立ち上がった。
戦友はひたすら馬で駆けた。何度も馬を乗り潰し、その度に馬を買い換えながら駆け続けた。
騎士の帰りを待っているだろう王女の元に、一分でも一秒でも早く辿り着けるように。一分でも一秒でも早く友との約束を果たせるように。
本来の半分の時間で王都に辿り着いた戦友は、すぐさま城に向かった。
血に汚れた格好のままで城に入れるとは思ってなかったが、騎士の名前を告げると、近衛長の取り計らいで王女に会えることとなった。
王女は血に汚れた姿に小さく息を呑みながらも、震える声で尋ねた。
「彼は……どうなったのです?」
戦友は跪きながら答えた。
「奴は殿下との約束を果たすために、私にこれを預けました」
戦友が差し出した包みを開けた王女は、その場に泣き崩れた。
王女のもとへと届けられた薔薇の装飾は、騎士の血で真っ赤に染まっていた。
【どこかの国の酒場にて】
「――とまあ、こんな具合で薔薇が赤くなったんですって」
いつの間にか話に引き込まれていた俺は、男のその言葉で我に返った。周りの喧騒が戻ってくる。
「結構、悲しい話なんだな」
手に持っていたジョッキには、まだ半分以上も酒が残っていた。
「その後は、どうなったんだ?」
一口飲んだ後に、俺は聞いた。
「その後、とは?」
「白薔薇の姫は、やっぱり白薔薇のままだったのか?」
こんな質問をされるのは初めてだったのか、男は軽く目を見張った。
「……さあ。残念ながらそのことについては僕も知りません。ただ」
「ただ?」
「その後戦友は、騎士の話を残すために旅に出たそうですよ」
飲みながら聞いていた俺は、そのせいで質問するタイミングを逃してしまった。
俺が口に含んでいた酒を飲み込んだころには、男は既に代金を置いて立ち去るところだった。
「おい!」
腰を浮かせて声をかけると、男はなんでしょう。と言わんばかりに首を軽く傾けた。
「今の話……どこまでが本当だ?」
言葉を選びながら聞くと、男はやっぱり微笑を浮かべながら答えた。
「――この店の酒は、強いですから」
08/08/10 投稿
08/08/12 推敲(文末部分)